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静岡大学コンテンツ制作サークルICONの公式ブログです

死生観と世界観【ICONサマーブログリレー2019 6日目】

 この記事はICONサマーブログリレー2019 6日目の記事です。

 

はじめに 

まず初めに言いますが、これはクッソ長いツイッターです。
戯言・独り言をだらだら書き連ねて散り積もらせた文章なので「おもんね~」と思ったらすぐに見るのをやめて今YouTube公式チャンネルで毎日1話ずつ無料公開しているプリパラを見ろ。プリパラを見るほうが人生において絶対に有意義。

 

ちなみに真面目な説明文を書こうとして数日間デスクトップと参考文献に向き合っていたんですが、ツイのオタクと化したオタクは長文をまとめるのが下手くそなので断念しました。ごめん。

あと人に説明することより自身の見解を整理することが目的の8割占めてるようなもんなのでそこそこ文が適当です。それと読めばわかるけど句読点が異様に多い。ごめん。ツイのオタクの宿命ねこれ

 

これ投稿する前に他の人の記事見たけど、みんなすごいちゃんと文章書けてて(語彙力皆無)びっくりしちゃった 天才?

 

 

 

死生観と世界観

この話のテーマは「死生観」です。が、これを説明する記事や本でほぼ必ず議題に上がるのが「世界観(世界の解釈)」です。
世界観はその個人の世界そのものであり、生死のルールもその世界のルール下に存在するので必然的に世界観から考えていかなければいけないわけで。つまり話が長くなる。


大前提として、「観測できないものは存在しない」というのが私の解釈の核です。有体に言うと自分ルールみたいなもんです。(そもそもが世界≒自分ルールですが。。。)
これが適応されている私の世界は、例えるなら一人称視点のオープンワールドゲームを想像すると分かりやすいかなと。
視界に入っている景色は全部テクスチャで、逆に視界に映らないものはロードされていないので実体として存在しない。今の私の世界は視界に依存しています。
トイレの部屋に籠ったら、世界はトイレの部屋だけしか存在しないし、もっと言うと原子や電子、歴史(過去)、地球は存在しません。なぜなら私は"それ"が"それ"として観測できないので。。。(どうして理系で大学に通っているんですか?)
もしくは「そういう設定」のオブジェクトやイベント、という認識の方が正しいかもしれません。恐竜は隕石によって絶滅した、月は太陽の光を反射して光る、地球には重力がある、なども「そういう設定」で成り立っていると捉えています。

動物も人間もNPCみたいなもので、世界で唯一存在していると確信しているものは「自分」だけです。デカルトの我思う故に我ありの精神です。
空(宇宙)なんて所詮テクスチャだと思ってるので、そこに雲や飛行機や星が浮かんでるなんてことはありません。第一見えてるものが本当に存在してるかどうかなんて誰にも分らないんで、言ったもん勝ちです。(もし目が潰れたりしたときはまた新しく世界の定義を変えますが。)
しかし憎たらしいことに、世界の核は自分なのに世界の中心は自分じゃないんですよね 世界はクソ


これに死の概念を付与すると、世界はオープンワールドゲームかつ死んだらデータ消去、といったところでしょうか。
正確に言うと、死んで世界が観測不可となることで世界が消滅する、という流れ。
これは世界五分前仮説やシミュレーション仮説、水槽脳仮説、特に死後については夢仮説や荘子胡蝶の夢などに相当なインスピレーションを受けていますが。

ja.wikipedia.org

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端的に言えば死んだら無です。無ってワードがもうすでに"良"い。はやくこれになりたい。
個人的に輪廻転生、仏教の涅槃システムや六道のような「死んだらリセットして初めから(別のものとして)やり直す」、コンテニューが人生で適応されていると思いたくないんですよね。
(これは仏教の受け売りですが)そもそも生自体が苦しみなので、選択肢があるなら絶対に生のコンテニューは選ばないですね。
この他に、イスラム教の六信五行のうち六信の一つの教えで「『死後の世界の存在(死後の復活)』を信じる」というもの(所謂天国や地獄)がありますが、私は絶対信じません。というか信じたくありません。
死後の世界がある、ということは果たしてどういう意味なのか?
もし死後の世界があったとして、則ちそれはコンテニューと同じではないのか?
無になることが死だとしているので、逆に意識がある状態のこと「生」として私は定義しています。
死後に意識を持っているってことは、それはまたもう一つの「生」であり、実質死んでないじゃん。。どうして俺は生の苦しみから解放されないんだ。。。となり、絶望です。故に無が最適解。
「死」、生きとし生けるものがみな唯一平等に持つ概念なので、皆さんももうちょっと色々考えてみるといいと思います。
"終活"というワードが以前流行ったのを見て勝手に一人で盛り上がってました。もうちょっと若いときから考えた方がいいと思いますけどね。死生観トークは老若男女問わず絶対流行る。

 

では先の話と合わせると、「寝ている間はどうなるの?」という議題が結構面白くなりまして。
結論から言うと、寝ている間は意識を失っているので自身は死んでいます。

起きたときに意識が覚醒し生を得るので、寝て起きるという行為はほぼ死に戻りみたいなものです。(正確には"戻る"のではなく、意識を失う前の自分は死に、意識を得たときから新しい生となる)
(ちなみに瞬きは意識は途切れていないので、単に観測できるかどうかのみ。生死のスイッチの役割は無い。)
これは詩野うら氏の「有害無罪玩具」という作品に影響されている部分が多いのですが(めちゃくちゃ面白いので人類は読んでくれ)、自分の生死(+自己の定義)は「自己(意識)の連続性」に起因すると考えています。
これの説明、どちゃくそに難しいけど頑張って説明したいと思います。
影響された作品では、ある薬を飲むと視界が暗転し自分と全く同じ(コピー)人格が生成され、薬を飲む前の人格は眠った状態になります。
その後一定時間経つと、もう一度視界が暗転し自分の人格が覚醒しコピー人格は消滅しますが、この時覚醒した自分の人格はコピー人格時に行動したときの記憶を引き継ぐ、というものです。
一連の流れを見たところ特に何も実害はない("無罪"たる所以)ように思えますが、覚醒する前の自分(?)は完璧な人格のコピーなので、その時の思考・言動は完全に自分の人格によるものです。が、覚醒し引き継いだその記憶に対して激しい違和感を覚えるのです。
(作中では、引き継いだ記憶は「まるで自分ではない別の人物の記憶を客観的に見ているよう」と説明していた)(と思う)
作中、この違和感の正体を「自己の連続性」に見出していて、私は"生死"に対してもこれが適応されると考えています。(ここから先は自己解釈)
上記では「暗転」時に意識が切り替わっていますが、この「暗転」は言い換えると生死の境目。覚醒/眠り。誕生/永眠。大体の皆さんの考える生物の一生と同じです。
私にとってはそれのスイッチが「意識」というだけの話ですね。結論出すまでが長ぇ。。まぁこの本を読むのが一番分かりやすいと思います。。。あと全編面白いので、是非。。。

comicbeam.com

 


ここまで書いといてなんですが我ながら文書力がクソ。続きます。

上記の事を踏まえて、ならば最終的にどう生きるか(これがよく死生観を語る上での結論に成り得る)に繋がるんですが、これも簡潔にまとめると「したいこと全部やったらさっさと死ぬ」に限ります。人生、やりたいこと全部やって死にたいときに死ぬのが一番理想的かつ美しい。
若い内にお金をなるべく使いたいし年金制度もクソ。どうして老人になるまで生きる前提の生活を送らなければいけないんですか?世界ってやっぱクソ
今の私は推しVに貢いで音ゲーやって曲作ってツイッターやってアズレンやってデレステやってシャニマスやって麻雀やってプリパラ見て寝るという堕落的かつ退廃的生物と化していますが、一生こうしていたい。現状維持ほど望むものはない。時間が止まってほしい。バイトはするけど働きたくない。社会がこわい。

 

死因に関しては僕は絶対に安楽死を希望します。

まぁあくまで希望なので人間死ぬときは死ぬし、そのときが来れば死を受け入れる覚悟はできていますが。
日本は安楽死が禁止されていますが、将来的に定年手前程の年齢になったらスイスやオランダなどの安楽死が合法の国で死にに行くつもりでいます。「老い」も嫌いなので早めに死にたい。The Peaceful Pillでも読もうかな。
逆に「いつでも死ねる」とうことが生につながることもあると思いますし、実際人間は明確なリミットがあるほうが力を発揮しやすいですしね。あと老害は今すぐにでも死んで社会に貢献してくれ。世界のために死んでくれ。


あ、
あと"時間"についても最近色々考えているんですが、「時間は存在しない」っていう本が気になります。まだ買ってませんが、面白そうなので読もうと思っています。
他には「場を支配する『悪の論理』技法」とか「DEATH 『死』とは何か」という著書の完全翻訳版も面白そうでしたね。国語辞典みてーな厚さで読ませる気あんのか?って思いましたが。

 

 

おわりに

恐らくここまで読んでいる人は余程暇を持て余していることでしょうから、以下フィリップ・ニッツチク氏の"サルコ"という安楽死マシンについてのインタビュー記事を読むことをお勧めします。めちゃ面白いし参考になるので。これ一家に一台欲しい。

www.vice.com

 

以上長々と書いてきましたが、やっぱり文面で説明しようとすると殆どの事柄に説明が足りないような気がしますね。。添削するのは面倒なのでこれ以上はやめますが。
今回は死生観に的を絞ってみましたが、まだまだ書き足りない(話したい)事が沢山ありますね。
皆さんも思考して一人ごちるような時間を設けると精神衛生上とても良いのでお勧めします。僕の日常です。
それらはまた次回の機会があれば。。と思います。今回はこれで終わります。


ここまで見てくれているお暇な方、ありがとうございました。プリパラを見ろ。

 

 

 

「世界を平等にするために全人類に死を与える」とか「死は救済」等のよくあるラスボスの思想、割と真理だと思うんだよね。
僕もラスボスとして人類に立ち塞がろうかな。